文学研究の喜び、それは一体なんであろうか。
作品を分析し、よりよく理解し、より楽しめるようになる。それが本来の文学研究のあり方である。新しい理論を作品にあてはめ、強引に論を展開するのは、それは文芸評論ではなく、研究という名をかぶった単なる雑音と言えるのではないだろうか。
文学研究は、作品論に埋没するものではなく、あらゆる文化体系を包括する学際的な研究の表れに他ならない。
文学研究とは、決して研究室や図書館での狭い世界の中から生まれるものではない。執筆者の人生観、人格、教養が色濃くにじみ出るものなのである。
人文科学とは、英語で“ humanities ”、つまり「人間」を意味する。
文学研究とは、究極のところ人間理解につながるものである。人格なき知識、人間性なき科学は、学問ではなく、それは害悪である。執筆者のもつ確固たる教養と人格の上に、研究は成り立つものだ。
文学は少年の心を養い、青年の渇きをいやす、そして老年の喜びとなる。
文学のある人生、それは素晴らしいものであり、それを研究することは、さらなる人生の素晴らしさを約束させるものではないだろうか。